『アイの歌声を聴かせて』の感想とか

 最近、長文を全然書いてないので、リハビリのために『アイの歌声を聴かせて』の感想を書いておく。

 

最初のミュージカルの部分はかなり共感性羞恥で身もだえしていたが、中盤あたりから気にならなくなり、特にミュージカルをやりながら柔道の稽古をつけるところはかなり良かった。

 あとは背景も結構好みで、海辺の田園風景に都庁みたいなビルがデンと建ち、そのビルの中の会社が実証実験として、ロボットや自動運転車を田舎町で動かしているとか、夜に海辺の水平になったソーラーパネルに月が映り、後ろでダリウス型の風車が光っているとかの風景は、かなり良い。

 

 また、記録以外シオンの内部状態を描写していないのも、かなり現代的で好感が持てた。実際、シオンが何をどのように考えているかは全くわからない。ラボの方でも謎のグラフを見て、事後的に出力の確認をしているだけだ。ただ、シオンはヒトの姿をしており、ヒトはその姿や動作に引っ張られる。いわゆる『アナログハック』が起こる。

 ヒトは他者の動作や表情を見た時、それらの動作を行うのと同じモジュールが発火する。(おそらく)ヒトは自分の脳の中のモジュールの発火を通して他者の意図を直感する。この直感は同じヒト同士であれば、ハードウェアは同じなので、おおむね正しい。ただ、相手が機械である場合、その直感が正しいとは限らない。

 ラスト付近でトウマがシオンに心があるとか言い出すのは、かなりいい塩梅ではあると思う。少なくとも、観客にはシオンが人間のように考えているかは判断ができない(例えば、幸福であるかの判断ができずに聞いてくる)し、トウマ達がアナログハックされているようにも見えるからだ。

 

 ただまあ、実際のところ、もしロボットが社会に広く使われるとしても、それはヒトの姿をしていないとは思う。一つは二足歩行がコスト的に高いこと。一つは黎明期に起こるアナログハックとのずれ(一時的にヒトだと直感しても、突然ヒトと離れた行動をする等)。あとは、ヒトはロボットを人権的に問題のない奴隷労働の担い手欲しがっているが、同時に決して奴隷が欲しいという欲望を自覚したくない、とも思う。実際『DETROIT』みたいな社会はおそらく誰にとっても耐え難いが、ロボットの姿がヒトではなく、ルンバやドラム缶、冷蔵庫のような姿であったら、誰もロボットに権利を与えようなんて思わないだろう。

 実際、ロボットの権利等を考えると、むしろロボットの思考を人間からかけ離れたものにしておいた方が、使うヒト側からすると罪悪感がなく使えてハッピーだから、こぞってそういう方向に進む可能性はある。

 まあもちろん、技術的にヒトの居住環境で、アナログハックできるくらいヒトっぽくふるまえる機械なんて核融合よりも遠い未来だが、ただフィクションでのロボットの描かれ方は、これからも時代に応じて変化し続けていくと思うので、その変遷は楽しみではある。