脳を自由にいじれるようになった時代の人生の目的に関するメモ

 イーガン作品では、自身の脳を自由に改変できる技術があり、その上で価値観をどう設定するかというテーマが度々出てくる。

 現実は、脳を自由に改変できるという状況には程遠いが、認知科学は近年、予算が注ぎ込まれて発展が著しい分野ではあるし、すでにrTMSやfMRIによる非侵襲的な刺激、計測技術や各種の向精神薬は存在している。そのため、そういった状況でのスタンスは、これから先、考えておく必要があるだろう。

 それらについて思いつくものをメモしておく

 ただ、哲学や思想は不勉強なもので、これについて、論じている本なんかがあったら、どなたか教えてください。

 

実際に考えられるスタンスについて、イーガン作品で出てくるものも含めて、ここに書いておく。

 

1.幸福でも喜びなどを最上とし、それらをひたすら感じる、もしくは、感じやすくするために脳を改変する

 『しあわせの理由』の主人公の脳腫瘍ができたときのような状態になることを目指す快楽主義的な態度。楽観的になるように改変する場合、度合いによっては2に分類されるかもしれない。

 

2.変わらない何らかの部分(価値観や人格、方向性など)を維持した状態でなりたい存在になるために改変を受け入れる

 イーガン作品で多く見られるスタンス。このスタンスは現在においても、変わっていく自己に対するアイデンティティに対する一つの考え方として受け入れられているように見える。

 

3.自己を完全に一つの目的のために最適化する

 『順列都市』で出てくる塔を降り続けるマンのようなスタンス。

 2との違いは、2の場合は判断するフレームワークアイデンティティとして残しておくのにたいして、この3の場合は、単一の目的を実現しようとする現在の自分をアイデンティティの拠り所として、すべてを目的のために改変する。

 

 現状、思いつくものとしてはこの3つがある。

 実際にこれらのスタンスは部分的には、現在においても見られる。快楽主義者は1におそらく分類し得るし、学業のためにメチルフェニデートを服用するアメリカの一部の大学生は2に分類できるだろう。

 まあ、正直、2と3の違いなんかは曖昧だし、どちらかというとスペクトラムで連続的に表現すべきなのかもしれない。